今回の旅行計画には、いろいろの理由と目的があり、前々から考えてやっと実現の運びとなりました。私は、旅行はツアー団体の仲間に入り、バスでガイドさんに案内して貰い、温泉につかってゆっくりすることが気をつかわないで一番いいと思い、毎年何回か旅行していました。 そして愈々出来上がった計画は老妻を助手席に乗せて、地元から東関道にのり、湾岸で葛西から→中央環状→三郷から外環道路→大泉から関越道→新潟まで行き(概算400km)佐渡を見物して、帰途は磐越道で会津若松方面を見て、三泊四日の自家用車の旅を計画し、実現することになりました。 この旅行にはもう一つ大きな理由がありました。それは、私のむら与倉の半数が高橋姓を名乗り、その起因は遠い昔、新潟の弥彦神社宮司家が高橋系の宗家であると云う「口伝え」と簡単な書状があり、古い高橋系の何軒かには氏神様に弥彦大明神を祀ってある。…一度弥彦神社を訪ねて確かめて見たいと思っていました。 車の空いている時間帯をを計って自宅を午前2時出発(息子が運転が疲れたら無理しないで休憩し、これを飲むと頭がスッキリすると「エスタロンモカ」内服液=1,000円をくれた)。 大栄インター→北千葉→葛西JCまで80km、丁度1時間→小菅、四ツ木方面に進むことが出来て一安心(車は予想通り本当にマバラ)→三郷から外環道に入り→大泉から関越道にのり…これで東京を越えることが出来てもう大丈夫と緊張もほぐれる。 助手席の老妻がスッキリするのど飴を皮をむいて私の口に何回もホウリ入れる。やはり緊張のせいか川越、花園、高崎と全然眠くなく疲れを感じないが、一応赤城のパーキングで30分休憩する。 |
少し休んでから、第一の目的地弥彦神社へ向かう。途中赤の大鳥居(日本一大きい)を写真に収め、神社の駐車場に車を置き弥彦神社に参拝。神官さんにお尋ねしたら、弥彦神社は代々高橋宗家が宮司を務めていたとのこと。 神社の歴史、高橋宗家の系図等を研究している郷土史家がいることを教えて貰い、その人、岡真須徳さんという年配の人の家に案内して頂く。 |
丁度在宅で一時間位高橋宗家について説明して貰う。現当主の前までは代々弥彦神社の宮司で系図書や古い資料が沢山現存し、今調べ中とのこと、私の持参した書状(写し)を照合の結果、私共与倉の高橋族は1550年(445年前)の天文19年卒18代前の左近重隆という人の時代兄弟らしい?ことが推測判明。(与倉高橋家所持の書状には、天文三年正月吉日越之後州弥彦明神臣 判官時景
の旗印總州矢作城主国分氏東に来る仕う、天正中国分氏滅亡し、高橋系一族農となり与倉に土着す)…与倉高橋族の口伝と旗印
の書状、弥彦大明神の氏神様から、弥彦神社宮司高橋宗家と「つながり」があることが立証されたことは大収穫であった。… 佐渡 小木のタライ舟 会津若松から蔵の町「喜多方」に向かう。喜多方ラーメンを食べてから、蔵めぐりコース1時間位、459号線を檜原湖に向かい、五色沼を散策し、休憩後磐梯ゴールドライン(有料720円)を下り、猪苗代湖畔の野口英世記念館、会津資料館、世界のガラス館を見学し、会津若松市に戻り、予約のつるやホテルに宿泊する。
三泊四日、天候にも恵まれ走行距離計1,166kmを走り、自宅に明るい中に帰ることが出来た。 孫達にみやげをあげて喜ばれ、夜はぐっすり眠った。年甲斐もない冒険ドライブ旅行、佐渡観光、高橋ルーツの探索……すべて順調にいき、いい記念旅行になった。 因に本日は平成八年八月八日の末広がりの日で、非常に良い日だと車のラヂオが喋っていた。
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