三泊四日 自家用車の旅

 
老妻と二人で挑戦した1,166km、高橋家のルーツを訪ねる旅

 今回の旅行計画には、いろいろの理由と目的があり、前々から考えてやっと実現の運びとなりました。私は、旅行はツアー団体の仲間に入り、バスでガイドさんに案内して貰い、温泉につかってゆっくりすることが気をつかわないで一番いいと思い、毎年何回か旅行していました。
自分の車で行けば荷物を持つ心配も要らないし、気楽に何処でも行けるので行ってみたいとも思っていました。
 正直いって私は高速道路は苦手で、千葉までは何回か行っていますが、東京を越えたことがないので自信がありません。
 その上、年令も高年になり過ぎてしまい、運転も上手な方でないので、東京を越えるには余程地図の勉強と通過のタイミングを考え、何人もの知人に、東京越えの地図を教わりました。

 そして愈々出来上がった計画は老妻を助手席に乗せて、地元から東関道にのり、湾岸で葛西から→中央環状→三郷から外環道路→大泉から関越道→新潟まで行き(概算400km)佐渡を見物して、帰途は磐越道で会津若松方面を見て、三泊四日の自家用車の旅を計画し、実現することになりました。

 この旅行にはもう一つ大きな理由がありました。それは、私のむら与倉の半数が高橋姓を名乗り、その起因は遠い昔、新潟の弥彦神社宮司家が高橋系の宗家であると云う「口伝え」と簡単な書状があり、古い高橋系の何軒かには氏神様に弥彦大明神を祀ってある。…一度弥彦神社を訪ねて確かめて見たいと思っていました。
 

                 新潟弥彦神社と大鳥居

 これはツアー旅行では一寸無理ですので、冒険の長距離ドライブと観光、高橋系ルーツの探索を兼ねた旅行は、八月上旬に決行することになりました
(息子夫婦は教師なので私共は孫の守りをしなくてはならないので旅行は休みに限られてしまいます)
 一日目 8月5日、出発に先立ち、氏神様に三泊四日無事安全でありますようお願いお参りする。

 車の空いている時間帯をを計って自宅を午前2時出発(息子が運転が疲れたら無理しないで休憩し、これを飲むと頭がスッキリすると「エスタロンモカ」内服液=1,000円をくれた)。

 大栄インター→北千葉→葛西JCまで80km、丁度1時間→小菅、四ツ木方面に進むことが出来て一安心(車は予想通り本当にマバラ)→三郷から外環道に入り→大泉から関越道にのり…これで東京を越えることが出来てもう大丈夫と緊張もほぐれる。

 助手席の老妻がスッキリするのど飴を皮をむいて私の口に何回もホウリ入れる。やはり緊張のせいか川越、花園、高崎と全然眠くなく疲れを感じないが、一応赤城のパーキングで30分休憩する。
 自分でも驚くほど疲れが出ていない(この旅行の為に毎日夕方一時間位「歩ケ歩ケ」をして体のコンデション作りに励んだ)。
 水上→湯沢→小千谷と順調に走行し、予定以上に早く新潟の三条燕に7時07分到着してしまった(メーターは438km)。

 少し休んでから、第一の目的地弥彦神社へ向かう。途中赤の大鳥居(日本一大きい)を写真に収め、神社の駐車場に車を置き弥彦神社に参拝。神官さんにお尋ねしたら、弥彦神社は代々高橋宗家が宮司を務めていたとのこと。

 神社の歴史、高橋宗家の系図等を研究している郷土史家がいることを教えて貰い、その人、岡真須徳さんという年配の人の家に案内して頂く。

 丁度在宅で一時間位高橋宗家について説明して貰う。現当主の前までは代々弥彦神社の宮司で系図書や古い資料が沢山現存し、今調べ中とのこと、私の持参した書状(写し)を照合の結果、私共与倉の高橋族は1550年(445年前)の天文19年卒18代前の左近重隆という人の時代兄弟らしい?ことが推測判明。(与倉高橋家所持の書状には、天文三年正月吉日越之後州弥彦明神臣 判官時景 の旗印總州矢作城主国分氏東に来る仕う、天正中国分氏滅亡し、高橋系一族農となり与倉に土着す)…与倉高橋族の口伝と旗印 の書状、弥彦大明神の氏神様から、弥彦神社宮司高橋宗家と「つながり」があることが立証されたことは大収穫であった。…
 高橋宗家に所蔵されている天文年間頃の資料をいろいろ調べて見たいと同氏は云ってくれたので期待したい。

 郷土史家岡さんに道順を教えて貰い、西山町の田中角栄邸宅と出雲崎の良寛生誕地、記念館を見に行くことにする(一時間位の道程)。写真を何枚か撮って16号を真っ直ぐ走り、新潟に入り、市内をぐるぐる廻り昼食を食べて夕方予約してあった「トキワホテル」に泊まる。
     
       出雲崎 良寛生誕の地           喜多方ラーメンの里

 二日目 8月6日、朝5時半にホテルを出て6時10分発の新潟港フェリーに乗る(車は持っていかないで前の駐車場に預ける。一日2,000円)…二等船室に寝転がりウトウトしながらスピーカーから流れる佐渡オケサの民謡をいい気持ちで聞いていたら所定の2時間20分、いつの間にか両津港に着いてしまった。
 観光案内所でいろいろのコースから…小木タライ舟、真野御陵、越の松原(昼食)佐渡金山、尖閣湾…8,690円コースの定期観光バスに乗ることにした。  両津9時20分発、美人ガイドさんの説明を聞きながら350号線金井を通り、名産の柿の木畑や大わらじ、海岸で人面岩、観音岩、順徳上皇の火葬塚、佐渡の赤玉庭石陳列場を見物し、小木湾のタライ舟に老妻と二人で乗って娘船頭さんと記念写真を撮って貰った。
     

佐渡 小木のタライ舟
レストラン(全員)昼食を食べ、相川に行き佐渡金山跡の坑内に入り   見学。
 
       金山採掘風景                  佐渡の赤玉石
 土産物店でみやげを買い、尖閣湾に行き「君の名は」のロケ現場見物、水族館、遊覧船のりばで休憩。ゆっくりしてから帰途につく。1時間位朝の道を戻り、予定の4時40分両津に着いた(予約の湖畔の宿「吉田家」ホテルの車が迎いに来ていた)。 夜は民謡と踊りを見ながら食事をして大変良かった。
 三日目 8月7日、両津港6時30分発フェリー(朝食弁当貰い吉田家の車で汽船のりばまで送ってくれる)…ウトウトしていて8時50分新潟港に着く。駐車料金を精算してその係に道順を聞き、亀田、二本木の豪農の館伊藤邸に車を走らせる(二町歩位の敷地に立派な大邸宅にビックリ)。新潟を後にして、新津から一般道49号線を会津若松
(170km)に向かって真っ直ぐ走る(会津若松方面から来る場合は
高速道路完成)。

 会津若松から蔵の町「喜多方」に向かう。喜多方ラーメンを食べてから、蔵めぐりコース1時間位、459号線を檜原湖に向かい、五色沼を散策し、休憩後磐梯ゴールドライン(有料720円)を下り、猪苗代湖畔の野口英世記念館、会津資料館、世界のガラス館を見学し、会津若松市に戻り、予約のつるやホテルに宿泊する。
    
        野口英世記念館                 檜原湖散策
 宿のテレビで「男はつらいよ」の渥美清(68歳)の訃報を報じていた。私と同年の昭和2年生まれだ。私も随分高令になってしまったことに万感無量の思いひとしおでした。  四日目 8月8日、「つるやホテル」朝食を7時に食べて7時半出発。49号を郡山まで走り、288号を三春に向かい道を聞いて高柴の「デコ屋敷」を見物して写真を撮る。屋敷の中に橋本宗家の名前で「元右ヱ門」という家があり私の家の屋号と同じなので一人苦笑していた。

   


高柴のデコ屋敷の民芸品

   三春駅で休憩し、資料館、人形館を見て中町の「ムラカミ亭」、蔵の食堂で米沢牛のステーキ定食大を食べた(O-157など気にしないで)。やはり本場の牛肉は非常に美味しかった。…これで一応予定の旅コース全部終了し帰ることにする。
 船引三春より常磐道高速にのり→水戸→桜土浦で下りて、佐原に5時05分無事到着することが出来た。

 三泊四日、天候にも恵まれ走行距離計1,166kmを走り、自宅に明るい中に帰ることが出来た。 孫達にみやげをあげて喜ばれ、夜はぐっすり眠った。年甲斐もない冒険ドライブ旅行、佐渡観光、高橋ルーツの探索……すべて順調にいき、いい記念旅行になった。

 因に本日は平成八年八月八日の末広がりの日で、非常に良い日だと車のラヂオが喋っていた。

 

 

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