与倉村 一年間の行事

   千葉県香取市与倉  旧香取郡香西村与倉(佐原市と合併佐原市となる)(旧下総国香取郡大戸庄与倉村)
                            2006年3月26日 佐原市と香取郡(小見川町.栗源町.山田町)合併 香取市となる

 「御奉謝おびしゃ祭」 「湯神楽おびしゃ」 「神楽かぐら奉納」の項は 行事の終わり続きにあります。      

   行   事

正月 (カド松飾る、門.入り口、 氏神さま、こうじんさま……)。 神棚 しめ縄など飾る
     3が日は餅を栗の木でつくった箸で食べる(ヤリクリよくなるように)。

  お寺へ年始(村中)に行く

  嫁−婿 実家へ年頭(泊まりに行く)。

七草」カユ、 餅を食べる。

「山の神」 山仕事はしない、山へ入ると事故がおきると言われ、誰も山へ入らない。

11

「いちガ」(鍬)  お正月さま(ヘイソク)を 「アキの方角」畑へおさめる。

14

「なりき」 赤、白餅−いろいろの形に作ってて、「ならの木」へならせる。木が倒れない
       ように、臼などにしばりつける。

16

「ヤブイリ」 やすみ日(奉公人など実家へ帰る)。 正月の16日は囲炉裏イロリの
  カギドノ(自在かぎ)に足ぶらさげて休めのことわざ。 「地獄の釜、フタあく」休日のこと

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「男 おびしゃ」大戸神社神主を招いて、鎮守.鹿島神社の祭礼儀式(村中)執り行う。

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「女 おびしゃ」  観音さまおびしゃ(女衆)。

「豆マキ」(節分) 「福は内」 「鬼は外」、 年の数だけ豆食べる。

13

14

15

13.14.15日 「二夜三日」(念仏衆2日間泊まり込み) ジュズ(大きい数珠)を廻し続ける。

「七軒堂おびしゃ」
「湯神楽おびしゃ」 村中順番、7人当番で始めの家が本堂、他は相堂
 大戸神社神官招いて、鎮守様で湯神楽行事(五穀豊穣.無病息災祈願)行う。

桃の 「節句」 女の子

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 彼岸の中日 お墓参り (ボタ餅)

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「御日待」ゴヒマチ (村の相談ごと、本年の手間賃等の取決めをする)

「かぐら」 (鎮守さま、三峯さまへ神楽を奉納) 若衆.オハヤシ下座連

「札ブチ」 与倉はじまり、玉造じまい(村々を周りお大師様参りをする、お餅等の接待あり)

「香取マチ」香取神宮のお田植祭 端午の「節句」男の子 … ショウブ湯に入る、
                    茅屋根の軒先に「ショウブ」と「ヨモギ」の葉をを挿す。

「シグレ」 (田植え上りの休みのことをしぐれと云う、定扶−ジヨウ使いがフレて廻る)。
           嫁、女衆等 ケイヤク講

14

(旧6.14)「宮ナギ」十五日、村中で鎮守さま、三峯さまの掃除する。

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「人形おくり」紙に書いた顔「藁人形」を作り、村はづれへ納める、子供達人形のタタキ合いする
        …「イクサにカッてニイサイな」  夜は子供相撲(年長組寄付集め)商品多数あり。

「八朔」 ハッサク(休み)、   嫁.婿実家へ泊まりに行く

「七夕」 タナバタ 竹にタンザク (朝早く、新盆の家へ灯籠はりに行く…組合クミアイ、 
            叺カマス、間アイダケイヤクの人達、ご馳走になる)
     子供らは藁で作って貰った牛、馬をひきづってて朝早く草刈りに行く
      ‥与倉は「ワラビ」を刈る。   (村によりゼンマイ、ヨモギ、ススキなど異なる)

13,14

15,16

 13.14.15.16 お盆 お墓まいり

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 「うら盆」 お墓参り  お寺で 施餓鬼 

「ジンジ」 (鎮守さまのお祭り)、おじ、おば ヨバレに来る(ご馳走を作る)

「亥の子」 イノコ(餅ついて食べる)   1年中で
     餅をついた日は一日休み、ボタ餅を作った日は半日休みということになっていた。

23

 「彼岸」中日 お墓まいり

11 15

「おびどき」 (七五三…十五のお祝い)お宮参り、 銭−蜜柑などをまく(子供たち一杯来る)

11 20

「えびすこう」 えびす様にご馳走供える、元気のよい鮒など。
         (佐原の町大売り山し、女ら買い物に行く)

12

「トキ米」 そろい、お寺さん年間の食い扶持を 世話人さんが集めて廻る。

12 20

「御日待」 ごひまち(集落、区長を選ぶ、その他取り決めを相談)

12 30

「取立」 集落1年間の支出を各戸に割当て、徴収する、各人が区長宅に持参する。

12 31

「引継ぎ」  区長.代理者.役職など(新区長宅にて行う)  小作料など支払日。

 




        「御奉謝」
  「おびしゃ」 昭和24年頃まで行われていた、与倉村鎮守
       鹿島神社の
「ひげなで三杯」おびしゃ 風習を紹介します。 

 与倉村の鎮守様(鹿島神社) の創建 「おびしゃ」の発祥はつまびらかでない。 50戸位の集落で、
上(カミ).下(シモ)の二つに、分かれ 同日(1月20日)「おびしゃ祭」が執り行われていた。 終戦後頃

 より「オセンダツ」と云う、後の公会堂で全村中50戸が一堂に会し「おびしゃ祭」を簡素化して
行うようになった。    以下は昭和24年頃まで行われていた「おびしゃ」祭り行事です。

        
      
                 宝暦五年 1755年 250年前 「のぼり旗」 

   集落50名位が上組.下組に分かれ、片方24〜5名で廻り番の本堂宅で「おびしゃ」を行っていた。
      定刻(12時)に全員集合 お茶一杯
 


 祭典の儀
 神主ノリト、オハライ  終了後   仲座(進行役)の挨拶

  正面に本堂.神主.相当が座り 左側に当番組合 右側に氏子一般が座る

           

ご神酒「初献」 (お酌係)上より全員に注いで廻る。   少し間をおいて「二献目」が注がれる。 

「三献目」
が注いで廻ると同時に、真ん中の席に両側から1人づつ出てきて、お膳の前で2人 
黒塗りの大きいご飯腕 「オヤワン」
で三杯呑む行事 「オジイタ」が始まる。
 (後ろに
仲座が座っている…進行と監視役)


 「1杯目」は置き注ぎ(ナミナミと注ぐ) 「二杯目」は注がれた盃杯を隣の人と交換して呑むことに
なっている、相手の顔を見て呑めそうだったら「ナミナミ」と注いで貰っていいわけ! 
 「オヤ腕」の酒を飲む時、ツバを飲み込み 「チェ
ッ」と口を鳴らす、顔に手をやる、「ヒゲ」をさわって
しまうと、後ろに控えている

仲座(進行.監視)が見つけ「ヨオー」 と手をあげ、声をかけ、全員「シャン.シャン.シャン.
 オシャシャン.シャン」と手拍子でハヤされる、と
 2人でもう一度「3献」やり直し、呑むことになる。
 気の小さい人、アワテ者は3回も4回も、ハヤされることがある。

それと、順番に2人づつ呑む時、全然呑めない
「下戸」ゲコの場合、 両側に並んでいる「呑める人」
に「助け舟」を頼んで もいいわけ、その場合助け人、呑む人は杯を持っていけない、口を寄せて杯を
傾けて貰って呑む。   (角度が難しい)

「オジイタ」をやっている間、一般には 
「シグレ」と称してお酌が 適当に注いで廻る。「オジイタ式」
 終了、


 
「四献目」と同時に  「引継式」受渡しの行事が行われる。   

 「満献」
 (下座よりお酌、モミ上げ)
     


 「神立」
 引継式終了後 来年度受け当番.本堂は氏子の名前を書いた名簿「御日記」オニッキ 
        を 「襟」に差し、当番組合衆と共に 退場 
                                     全員  拍手 !   見送り

  このような「ヒゲなで3杯」
 「酒呑み」おびしゃ風習  思い出すと懐かしいです。 
                    (娯楽の少なかった時代、村人の楽しみ一つでした) 






  次に 七軒堂おびしゃ」  
「湯神楽おびしゃ」 とも云う、毎年2月15日
               (戦後頃までは 旧暦の2月15日) に行われていた
        
               「七軒堂おびしゃ」 行事を 紹介します

  
     
 大戸神社神官 「ノリト」                              「湯かぐら」  釜 とシメ縄 

 
                     
 「湯かぐら」  無病息災祈願

   
      当番本堂は、祭礼簿を記し次当番に申し送りする            村中に配る お札.ヘイソク.紅白切り餅

全戸数の内、7軒づつが順番に当番になり、始めの家が本堂、次の6軒が相当となります(本堂宅に
不幸などあった 場合、次の家が本堂となる)    当日、7戸を除く村中全員が朝 お祝いを本堂宅へ
持って来る。 大戸神社神官を招き、、献上品の数々をお供えし
 ノリト.オハライ 「湯神楽祭礼」

の儀式を鎮守様の境内で行う。   午後夕方、全村中に
「御神爾」のお札」とクマ笹を挟んだ「ヘイソク」
 紅白の切り餅を配って廻る。

終戦前頃までは、村中の持って来る「お祝い」は全部「お餅一重ね」であったので 引継帳には四十重ね
等と  記してある (このお餅は7人で配分、持ち帰り、食した) 現在は全戸お金銭で持って来る。





毎年 4/3日 「神楽奉納」 かぐら 行事について      

 お遊びと称して、宿もとで若衆、1日中懇親和会。午後夕方頃 鎮守鹿島神社と三峯神社
 へ神楽を
奉納する。奉納終了後 当年 集落、三役の家に「かぐら」を入れる(各戸からご祝儀がでる) 
 3軒終わってから、「かぐら」を入れて貰いたい希望者宅に 下座の囃子で、乗り込んで行き「かぐら」を
舞いご祝儀を戴く。  これは戦前、戦後一度も絶やさないで現在も続いている、残したい伝統の行事です。

     
              区長宅へ 「かぐら」を入れる                       山車 下座連  (佐原ばやし)           


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